永遠のぬくもり

先週、2024年10月23日に担当の医師から、母が病状が終末期であることと最期の看取りについて説明があり確認ための文書に署名をしました。(『穏やかな日々を』の記事参照)。

その説明を受ける前に、この写真を撮りました。この病院の病室には、今年(2024年)の3月から月2回毎月通いまいした。急性期の最初の病院は、必要であれば制限なく毎日でも面会できたのに、月2回は少ないなと感じていました。

日々、自分の生活をする中で、母が今いる病院に転院した3月からの約7ヶ月は『心の準備』のための期間でした。母親も自分も兄も叔母も悔いのないようなお別れをしたい。そう思って過ごしてきました。面会時は、関東に住む兄に報告するためと、大事な記録だと思いながらiPhoneで母親に威圧することがないように静止画と動画を撮ってきました。日々、ノートを書きながら日記を書きながら悔いの残らないように。母に何ができるのか、何かを忘れていないかを考えました。

何か予感のようなものがあったのか、この面会の時は一眼のカメラを持っていきました。面会の前半は、いつものようにiPhoneで撮り終えました。最後の数分で、一眼のカメラですやすや寝ている母の姿と、上のあたたかな母の手と自分の手を合わせた写真を撮りました。

後日、このふたりの合わせた手の写真をInstagramに投稿したらいつもより多くの方が反応してくださりました。そのInstagramの投稿は、一旦下げたのですがこの写真には力と意味があると、このblogにきちんと文章をつけて、母が生きている間に投稿しようと思いました。

この投稿のタイトルは、『永遠のぬくもり』としました。母も自分でさえも永遠の命ではないのですが、ずっと写真を続けてきて、この写真はどこか深い意味があると確信した思いがしたので、正式に公開したいと思いました。温もりがあるのが、当たり前ではなくなる。それでもこの写真を撮った瞬間は確かに温もりのある手と手を合わせていました。母がこの世を去っても、母は自分の心の中に自分の生身の体と共に『永遠のぬくもり』として生きていけると思います。そんな思いでこの写真で記事を書きました。

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